2024年のM-1グランプリで凄まじいインパクトを残し、準優勝に輝いたバッテリィズ。ボケのエースさんの気持ちのいいおバカキャラが人気を博し、2025年にブレイクを果たしています。テレビ番組にお父さんが出演した際にも話題になりましたよ。
今回はバッテリィズ、エースさんの本名やお父さん、生い立ちについて紹介します。
バッテリィズ・エースの家族構成
バッテリィズのエースさんは2024年まで大阪の実家で生活していたそうですが、家族構成はお父さん、お母さん、お兄さん、妹さん、そしてエースさん本人。5人家族で育ってきたそうです。
ちなみにエースさんの本名は角拳都(かどけんと)さん。とてもカッコいい名前ですが、先輩芸人「ニッポンの社長」の辻さんに改名の相談をした結果、「エース」に決まりました。その際、エースさんは自身の芸名に「たこ焼き」を、辻さんはその代案として「アホ」を提案していたそうで⋯⋯最終的に「エース」になって良かったですね。
バッテリィズ・エースの父はキムタク似?
エースさんのお父さん、角光則さんについて、「キムタク似」という噂があります。2025年放送の「千鳥の相席食堂」などでエースさんのお父さんが登場し、「カッコいい!」と話題になりました。年齢が60歳近くということもあり、本当にキムタクさんに似ているかどうかは、まあ見る人それぞれの判断によるところですが、愛称に「西成区のキムタク」というものがあったことからこういった噂になったようですね。
お父さんはエースさんに子供の頃から少年野球をさせてくれた方で、お父さんも大人になったエースさんとキャッチボールをしてみせたり、ナイスガイな方なんですよ。
エースの母はエースの活躍を喜んでくれているはず
エースさんのお母さんについては、エースさんのSNSに幼い頃のエースさんとのツーショットが投稿されており、スラっとしてカッコいい美人さんという印象の方です。エースさんが何か失敗してしまった時には「やってしまったことは仕方がない、忘れろ」と助言するなど、強い母親という感じの方でもあったのですね。
2023年、お母さんは54歳の若さでこの世を去っています。エースさんのブレイクも間に合わなかったのですが、お父さんは「一番跳ねて、飛び上がってると思うで」と、お母さんの気持ちを代弁していました。
エースの兄妹は?
兄妹の情報についてはあまり表に出ていないのですが、エースさんのお兄さんは既婚者のようです。お兄さんの結婚式についてSNSで報告された際に、エースさんは「最高の兄」という表現をしており、兄弟仲の良さを窺わせます。ボクシングが兄弟共通の趣味で、一緒にトレーニングに行くこともあったのだとか。妹さんについても、2016年にエースさんが妹さんと共に出かけることを示唆する投稿をされており、エースさんは家族揃って仲良しだったことがわかります。エースさんのイメージにピッタリですね!
エースの生い立ちや経歴
ここからはエースさんの生い立ち、経歴について紹介します。
小学四年生までプロ野球選手に憧れていた
大阪市西成区出身のエースさんは、子供の頃から地元の少年野球チームでプレーをしており、将来の夢もプロ野球選手でした。ですが地元の少年野球チームに「凄いやつ」がいたらしく、その人には敵わないと思ってしまったエースさんは野球選手の夢を諦めることとなったのですね。
ですがエースさんは野球自体はその後も続け、今もなお草野球の全国大会出場を目指して活動中(忙しくなった現在はあまり時間を取れていないかもしれませんけどね)。7種類もの変化球を投げ分ける技巧派にして、右でも左でも打てるスイッチヒッターなんです。
明石家さんまに憧れてお笑い芸人の道へ
子供の頃のエースさんのもう一つの特徴として上げられるのは、人を笑わせることが大好きだったということ。明石家さんまさんが当時のエースさんにとってのヒーローであり、「面白いことは誰にも負けてへん」という思いから芸人を目指すようになりました。
エースさんは芸人を志す一方でお笑いの世界については特に詳しくなく、NSCに入るまでM-1グランプリすら知らなかったのだとか。そういったお笑いへの姿勢は今もそこまで変わっておらず、キングオブコントなどの賞レースについても、お世話になっている先輩や友人である同期などが出ていない場合は特に興味を示さないそうです。
草野球での縁から「バッテリィズ」を結成
NSCに入学したエースさんはお笑いコンビを結成。しかしこの時の相手は寺家さんではなく、エースさんと寺家さんはそれぞれ別のコンビを組んで始動しました。最初のコンビがうまく行かなかった二人は、実は同じ草野球チームでプレーしており、試合中のブルペンで二人でキャッチボールをしていた際にエースさんからコンビ結成を持ちかけ、バッテリィズが誕生したのです。
エースさんのキャラクターは芸人として映えるものでしたが、バッテリィズはコンビ結成後すぐには結果を出せず。「エースが売れないのはお前のせい」だと寺家さんが周囲から責められてしまうようなこともあったそうです。
漫才スタイルを変えて見事M-1グランプリ決勝進出
元々はシンプルにエースさんがボケ、寺家さんがツッコミという役割で漫才を行っていたバッテリィズですが、エースさんが「とりあえず変えてみよう」と提案し、寺家さんがボケてもいないのに言っていることを正しく理解できていないエースさんがツッコむという独特の漫才スタイルが誕生。これが見事にハマり、2023年に初めて準決勝、敗者復活戦に出場、2024年に決勝進出を果たして2位という結果を残しました。2024年にはファーストラウンドで1位を獲得、強烈なインパクトを残しましたよ。
2025年に東京進出
M-1グランプリでの結果をもって、2025年3月より東京進出。全国区でスターになるのはエースさんの夢であり、寺家さんもそれに付き合う形で東京へと活動拠点を移すことになりました。2025年上半期ブレイク芸人ランキングでは見事1位を獲得、東京進出後もバッテリィズは順調に活躍を続けていますよ。
最後に
今回はバッテリィズ、エースさんのお父さんや家族、本名や生い立ちなどの情報について紹介しました。2024年のM-1グランプリが初めての決勝進出だったバッテリィズ、そのためお笑いに詳しくないなら昨年のM-1グランプリで初めてバッテリィズを見たという人も多かったでしょう。一気にスターダムに駆け上がれるのがM-1の凄いところですよね。


