山田邦子の全盛期がすごい!ビートたけしと並ぶお笑いの実力で最高月収は1億!

お笑い芸人

 

お笑いタレントの山田邦子さんが2022年M-1グランプリの審査員に選ばれたことが分かりました。

お笑い芸人の最高峰を決めるM-1グランプリの審査員になぜ山田邦子さん?と思った方もいたのではないでしょうか。私もそうでした。

しかし、山田邦子さんは全盛期にはレギュラー番組を週に14本も抱えるほど人気のタレントでした。

山田邦子さんの全盛期を知らない方や、忘れてしまった人のために、山田邦子さんの全盛期について紹介していきたいと思います。

どうぞごゆっくりご覧ください。

山田邦子の全盛期!

山田邦子

山田邦子さんの全盛期のトピックスについてお伝えしていきます。

・テレビ番組レギュラー14本

・シングル『さよならだけどさよならじゃない』が大ヒット

・民放キー局に専用の仮眠室

・NHK「好きなタレント調査」において8年連続で第1位

・1991年に出版した2作目の『結婚式』は発行部数40万部を超えるベストセラー

・ゴールデンタイムで冠番組を持った唯一の女性ピン芸人

・最高月収は1億

・ビートたけしと並ぶ実力

これを見るだけでも、山田邦子さんがどれほどすごかったのか分かりますね。1つづつもっと詳しく紹介していきます。

山田邦子の全盛期!テレビ番組レギュラー14本

山田邦子

当時出演してたテレビ番組はこちらです。出演番組が人気となり、自身の名前が入った冠番組も担当していました。

『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)

『クイズ!年の差なんて』(フジテレビ)

『MOGITATE!バナナ大使』(TBS)

『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(フジテレビ)

『邦子がタッチ』(テレビ朝日)

山田邦子全盛期!シングル『さよならだけどさよならじゃない』が大ヒット

山田邦子

邦ちゃんのやまだかつてないテレビから生まれた当時人気の女性デュオWinkのパロディ「やまだかつてないWink」でのシングル『さよならだけどさよならじゃない』が大ヒット。

「やまだかつてないWink」でのシングル『さよならだけどさよならじゃない』

山田邦子と横山知枝の2人で結成されました。横山知枝さんは一般公募で選ばれています。

山田邦子の全盛期!民放の各キー局に山田専用の「仮眠室

レギュラー14本も抱える山田邦子さんは、家に帰る時間もなく、民放各局には山田邦子さん専用の仮眠室が設置されるほどでした。

多くのレギュラー番組を抱えていることに感謝する一方、寝る時間がなくなったことで、疲労やストレスを抱え死の衝動に襲われたこともあったそうです。

忙しすぎて鬱病になりかけていたのかもしれませんね。

山田邦子の全盛期!NHK「好きなタレント調査」において8年連続で第1位

好きなタレント調査というのは、NHKの関連団体「NHK放送文化研究所」が主催し1975年度から2003年度まで毎年実施していたアンケート調査です。

山田邦子さんは1988年から1995年までの8年連続で第1位になっています。この調査で8年連続1位になっているのは男性を含めても山田邦子さんだけです。

明石家さんまさんもビートたけしさんも成し遂げていない偉業です。山田邦子さんがどれだけ人気だったのかが良くわかりますね。

年度男性1位女性1位
1975年(昭和50年)加藤剛森光子
1976年(昭和51年)未調査
1977年(昭和52年)
1978年(昭和53年)萩本欽一竹下景子
1979年(昭和54年)水谷豊松坂慶子
1980年(昭和55年)萩本欽一
1981年(昭和56年)西田敏行森光子
1982年(昭和57年)萩本欽一
1983年(昭和58年)田中裕子
1984年(昭和59年)黒柳徹子
1985年(昭和60年)明石家さんま森光子
1986年(昭和61年)
1987年(昭和62年)
1988年(昭和63年)山田邦子
1989年(平成元年)
1990年(平成2年)ビートたけし
1991年(平成3年)
1992年(平成4年)
1993年(平成5年)
1994年(平成6年)
1995年(平成7年)明石家さんま
1996年(平成8年)所ジョージ山口智子
1997年(平成9年)反町隆史
1998年(平成10年)明石家さんま和田アキ子
1999年(平成11年)宇多田ヒカル
2000年(平成12年)松嶋菜々子
2001年(平成13年)

久本雅美

2002年(平成14年)
2003年(平成15年)

引用先:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%82%BF%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88%E8%AA%BF%E6%9F%BB

山田邦子の全盛期!1991年に出版した2作目の『結婚式』は発行部数40万部を超えるベストセラー

山田邦子さんは小説家としても活躍されています。

1990年に『あっかんベーゼ』で小説家デビュー。1991年に出版した2作目の『結婚式』は40万部を超えるベストセラーとなりました。

いろいろあったけど…。複雑な想いを抱えて「幸福の儀式」に集まった5人の女性たちに訪れる、様々なハッピー・スタートの形。あなたのための実用的恋愛・結婚小説。

山田邦子『結婚式』冒頭部分より引用

書籍に関していうと一般的には、2万部以上で大ヒット、10万部以上でベストセラーと言われてますので40万部はかなりすごいことが分かりますね。

山田邦子さんは演者としてだけではなく、番組のシナリオを考えたりプロデュースする実力も持っているのでしょう。

山田邦子の全盛期!ゴールデンタイムで冠番組を持った唯一の女性ピン芸人

山田邦子

ゴールデンタイムと呼ばれる19時から22時に冠番組を持った女性ピン芸人は山田邦子さんしかいないということで、

唯一天下を取った女性ピン芸人と言われています。さんまさんや萩本欽一さんの女性版ということですね。

山田邦子の全盛期!最高月収は1億!

山田邦子

山田邦子さんはテレビ東京系「じっくり聞いタロウ~スター近況(秘)報告~」に出演し、全盛期の最高月収について語っていました。

全盛期の最高月収は1億円。

当時所属していた芸能事務所の太田プロダクションは、給料は現金手渡しだったそうで、「デパートの大きな袋に入って。1億円でこのくらい、ピン札で」と札束の高さを手振りで表していました。

天下を取った女性芸人と言われるくらいですから、給料もかなりの高額をもらっていたのでしょう。

山田邦子の全盛期!ビートたけしと並ぶお笑いの実力

山田邦子

山田邦子さんと同じく太田プロに所属していたビートたけしさんが、フライデー襲撃事件で逮捕され芸能活動を自粛。その時期に山田邦子さんはたけしさんの代役としてテレビ番組で司会を務めていました。

『スーパーJOCKEY』

『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』

たけしさんの代役なんて今の時代に出来る人がいるのでしょうか。それくらいすごいことだと思います。

山田邦子現在の活動は?

山田邦子

山田邦子さんは現在どういった活動をされているのでしょうか。

現在は、太田プロから独立しスポーツ選手のマネジメントを専門とする、アスリートマーケティングに所属しています。

それ以外にも、

長唄杵勝会の名取として「杵屋勝之邦」の名を襲名。歌舞伎座の舞台に立つ。

落語芸術協会の寄席に色物(漫談)として出演。

などマルチに活動をされています。全盛期の活躍や現在でもお笑いの世界で活躍されていることを考えるとM-1グランプリの審査員に選ばれたことは納得できますね。

まとめ

山田邦子の全盛期がすごい!ビートたけしと並ぶお笑いの実力で最高月収は1億!

についてまとめました。

M-1グランプリ審査員でどういった立ち回りをされるのかがとっても楽しみですね。

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