メジャーリーグ・エンゼルスで活躍している大谷翔平。大谷翔平をカメラがとらえるときに、高確率で隣に写りこむ日本人男性をご存じですか?
大谷翔平の通訳の水谷一平です。水谷一平とはどのような人物なのでしょうか?
この記事を読んでわかることは以下の通りです。
・大谷翔平の通訳の水谷一平の経歴
・大谷選手の通訳をするきっかけ
大谷翔平の通訳の水谷一平の経歴
水原一平は北海道苫小牧市出身の日本の通訳です。メジャーリーグ・エンゼルスに大谷翔平の専属通訳として所属しています。2023年現在、大谷翔平とは10歳ほど年の離れた36歳の水谷一平。
水原一平の経歴について紹介します。
水谷一平の経歴① ロサンゼルスに移住
水原一平の父親は和食料理人で、1991年にロサンゼルスで板前を始めたことがきっかけでアメリカに移住しました。当時の水原一平は6歳でした。
6歳でアメリカに移住した水原一平はアメリカで学生生活を送ります。学生時代はサッカー部とバスケ部に所属。野球とは縁のない生活でした。
水原一平の学生時代、メジャーリーグで活躍していた日本人選手に野茂英雄がいます。ドジャースに所属しておりトルネード投法でメジャーでも大活躍。
野茂英雄の活躍に感化され、水原一平も「将来はスポーツ関係の仕事がしたい」と思い、通訳の仕事を始めるようになりました。
水谷一平の経歴② 岡島秀樹の通訳
水谷一平は大学卒業後、日系企業に就職します。
転機は2010年に訪れます。レッドソックスがチームに所属していた岡島秀樹の通訳募集を開始したのです。
水谷一平は知人の紹介で通訳募集のことを知り、応募した結果、採用されることになったのです。
岡島秀樹が2011年にレッドソックスを退団するまで通訳を務めていました。
水谷一平の経歴③ 日本ハム在籍の外国人選手の通訳
水谷一平は2012年からは北海道日本ハムファイターズの球団専属通訳となり、ブランドン・レアードやクリス・マーティンなど日本ハムに所属する外国人選手の通訳として活動。
水谷一平のすごいところは以下の通りです。水原一平は公私ともに外国人選手だけでなく、日本人選手もサポートしていましたことがわかります。
・日本ハムに所属する外国人選手の生活のサポートも務め、選手たちに「連絡があったらすぐ駆けつける」と約束
・外国人選手だけではなく、選手の家族にまで配慮を行った。
・水谷一平の妻となる女性とは、当時日本ハムに所属していたルイス・メンドーサの紹介だった。
・日本人選手かも愛されており「一平ちゃん」の愛称で呼ばれていた。
・陽岱鋼と仲が良く、キャッチボールの相手を頼まれた。
大谷選手の通訳をするきっかけは日本ハム時代!
大谷翔平は2012年に花巻東高校からドラフト1位で日本ハムに指名され、入団します。
時同じくして日本ハムに所属することになった水原一平。まさに運命的な出会いといっても過言ではありません。
大谷選手の通訳をするきっかけは外国人選手との会食
日本ハムファイターズ時代に水原一平は外国人選手の通訳だけではなく、買い物や食事も一緒に行動するなど献身的にサポートしていました。
水原一平はよく外国人選手の会食を設定しており、悩みや不安なことなどの相談などを受けていました。会食があったときによく参加していた選手が大谷翔平だったのです。会食で水原一平と大谷翔平の交流が増えていきました。
大谷翔平は次のように思ったことでしょう。
外国人選手の通訳だけではなく、公私ともにサポートしている水谷一平さんはすごいな。
自分もいつかメジャーリーグに参加するときはついてきてほしいな。
大谷翔平の専属通訳として渡米
ついに渡米するときがきます。2018年大谷翔平がエンゼルスに移籍することが決定。
大谷翔平は水原一平に「メジャー挑戦を支えるパートナーになってほしい」と告げました。
水原一平は「うれしかった。なかなか出てこないようなすごい選手をサポートできることはすごく光栄で二度とないチャンス」と語り、水谷一平も専属通訳としてアメリカに渡ります。
まとめ
この記事では、大谷翔平の通訳である水原一平の経歴や大谷翔平との出会いについて紹介しました。
2人の出会いは日本ハム時代で、外国人選手の通訳として公私ともにサポートしている水原一平の姿を見て、大谷翔平が「メジャー挑戦を支えるパートナーになってほしい」と告げ、二人三脚でのメジャーリーグ挑戦が始まりました。
2023年3月12日現在、WBC(ワールドベースボールクラシック)が開催中。WBCに出場している大谷翔平の隣には水谷一平がいます。
大谷翔平の専属通訳というより、マネージャーのような存在なのかもしれません。
大谷翔平が実力を発揮し、輝かしい成績を残している背景には、“マネージャー”水原一平の存在が大きく影響していることは間違いありません。